EmptyPage.jp > Whining Express > 2005-03-29
サイトの更新情報や日々の雑感など。
これは音楽ネタ……じゃないか。
レッシグせんせいをして「ニューヨーク・タイムズがここまで間違っているのは見たことがない」
といわしめたNYTimesの論説(When David Steals Goliath's Music)のゲリラ翻訳(なにそれ)。
翻訳ここから。→
オンラインでの音楽著作権侵害行為をめぐる戦いはしばしダビデとゴリアテの戦いとして描かれる。音楽業界のコングロマリットに追い詰められる寄宿舎のあわれな学生というわけだ。この対決で学生の側に味方するのは簡単なことだ。しかし、最高裁判所が今週この問題を取り上げたとき、われわれはまたべつの一味の言い分も聞いてやってほしいと願ったものだった。音楽、映画、そして書籍のクリエーターたちのことだ。かれらが創作活動を続けるためには報酬を獲得し続けることができるようになっている必要がある。もし突如として彼らの作品が「フリー」なものになってしまったとしたら、社会全体の大きな損失となることだろう。
裁判所は、インターネットユーザーに音楽やその他のコンピュータ・ファイルを交換できるようにする「ピア・トゥ・ピア」ソフトウェアを製作しているGroksterに対する音楽・映画企業の主張を聞く。Groksterで「共有」されている少なくとも90パーセント、おそらく実際にはそれ以上が、著作権で保護されている素材だ。Groksterはこのソフトウェアを無料で配布しているが、それを使用する何百万というユーザーにたいして広告を表示している。
多くのエンタテインメント系大企業が、イーグルス、ディクシー・チックスといった看板ミュージシャンとともにこの訴訟を支援している。しかしこのことは、ロイヤリティの数千ドルも大きな違いとなる、作家協会やアメリカ写真家協会といったクリエイティブなプロフェッショナルについても同様の問題だ。
技術コミュニティはGroksterを弁護すべく結集している。なかでももっともラディカルなメンバーは「情報はフリーになたがっている」とオンラインで主張し、あらゆる知的財産の概念に軽蔑を表明している。もう少し穏健な意見、そしてGroksterが法廷で主張している意見は、もし敗訴するようなことになれば、技術革新に萎縮効果をもたらすことになるというものだ。
Groksterの主張をくじくような判例が容易になされたことはなく、またわれわれはそうなるような事態にはつねに用心をしてきていた。法廷は、1984年の画期的な判例で、ベータマックスのビデオ・レコーダーは著作権保護された素材をコピーすることに使われることがあるとしても、合法的な使用において意義深いものが認められるとして合法であると判断した。Groksterに合法的な使い道があることは真実だ――交換されているすべてのファイルが著作権保護されているわけではない。しかしどれだけ非合法な使用が圧倒的であるか、そしてこのビジネスモデルがどれだけ窃盗行為に依存したものであるかは注目すべきことだ。
憲法起草者たちは著作権の保護を憲法に盛り込んだ。なぜならかれらはそれが発展に不可欠であると信じたからだ。映画、音楽、そして書籍にはお金と時間の投資が必要だ。もし、それらのクリエーターがそこからお金を得られないとすると、かれらの多くが、創作がいやになってしまうか制作を続けることができなくなってしまうことだろう。あるいは、工業製品に取り込まれるとか、計画的な寄付によってお金を獲得するといった、憂慮すべきやり方で資金を調達しなければならなくなるかもしれない。
Groksterの支持者たちが、法廷が新しい技術をあまりに早急に押さえ込むようなことがあってはイノベーションは息絶えてしまいかねないと懸念するのは正当なことである。また著作権はときとして過剰な保護を受けてきたという、とりわけ著作権延長法が現状の著作権を根拠なく20年延長したという点においても、かれらは正しい。しかしこうした関心事は、現に存在する知的財産の重要性、批判の的にされながらも疑いようのないそれを消し去るものではない。
裁判所と議会は技術の発達には気を使うべきである。しかし、その制作物にたいして報酬を得るだけの才能をもつ人びとを拒否するような技術の発展を許すべきではない。
←翻訳ここまで。
「RIAAのプレスリリースみたいな記事」などといわれてます(笑)。とはいえ、こうした意見にたいする問題点の指摘を、感情的にならずに、問題に詳しくない人にたいしてもわかりやすく説明するのはけっこう難しいと思うんですよ(自分のなかでは明確だったとしても)。個人的にはあきらかに百害あって一利なしだと思われるソフトウェア特許などとくらべると微妙な問題だと思いますし。