Aaron Swartz さんのエッセイ、“Theory of Change” の日本語訳です。

報道されているように、2013年1月11日、Aaron 君は26歳という短い生涯を終えました。このエッセイは2010年の4月にかれのブログに書かれたものです。私は当時これをかれのツイートから知って、面白く思いましたがけっきょく翻訳を公開するまでとは考えませんでした。しかし死後 Aaron Swartz という人物にふたたび大きな関心が寄せられているように感じましたので、かれのことをもっと知りたいという人びとに少しでも参考としてもらえるだろうかと考え、公開することにしました。

公開:
2013-01-18

変化の原理(Aaron Swartz のブログから)

物事を成し遂げることができる人とできない人との差は、変化の原理を押し進める力にあるんじゃないかという確信をますます強くしている。変化の原理なんて聞き慣れない言葉だろう。はじめて聞いたのは NPO 界隈でだけど、政治の世界でも浸透していて、じつはどんなことにでも当てはまる。残念ながら、この能力に長けている人はほとんどいない。

具体例をあげよう。君は防衛費の削減が望ましいと考えたとする。そのための典型的なアプローチは、どうすればいいのかあれこれ調べて、調べたことを防衛費削減の名のもとに実行するというものだ。ブログを持ってたら、なぜ防衛費を削減すべきなのかという記事をポストして、それをフェースブックやツイッターでみんなに知らせる。文筆業の人ならそれについて本を書く。学者なら論文だ。こういうやりかたを、行動の原理と呼ぶことにしよう。目的を達成するであろうやりかたを探り、それでわかったことから始めていくやりかただ。

変化の原理は行動の原理とは正反対の進めかたをする。達成するゴールから逆に、具体的な進展を、自分でできるところまでさかのぼっていくんだ。変化の原理を進めるには、おしまいから始めて、こう自問しつづける。「具体的には、これはどのように達成されるのか?」 防衛費の削減、これはいかにして達成されるんだい?

聴衆のだれか: 国防費の去年より減った予算が議会で通ればいい。

いかにもその通り。けどもっと具体的に。どういうふうにそうなる?

聴衆: えと、その意見が下院と上院で過半数を占めて、大統領がそれに署名する。

すばらしい。じゃあ議会がそうなるようにはどうやってする? こんどは議員たちが支持したくなるのはどんなことなのかについて考えるんだ。これはちょっとトリッキーな問いだけど、目覚ましい効果を上げたければここが肝心だ。要は、最終的に議員たちを刺激できていなければ、僕らのやってきたことというのは目的の達成にはなんの役にも立っていなかったということなんだからね(国防費圧縮がほかの方法で実現する可能性を思いつかないかぎりは)。

しかしこれは解決不可能な問題というわけでもない。ちょっと議員の立場になって考えてみよう。そんな君は何で動く? まずは君が正しいと考えていること。それから君の再選を後押ししてくれるもの。そして最後に、人を望んでいない方向へと向かわせる同調への圧力やその他諸々の心理的理由によってだ。

そうすると、まず最初の点は、議員を説得して国防費をカットするのはいいアイデアだとわかってもらうという戦略を示唆している。二番目の要素は防衛費削減を望む有権者を抱える選挙区にしていく必要を示唆している。三つめをどう利用するか思いついた人はいるかな。これにはすこしばかりの狡猾さが必要だね。

とはいえまずは一つめについて考えてみよう。それがいちばんまともなやりかただから。議員たちに、あることこそなすべき正義と確信させるものは何か?

聴衆: 信念?

だと思う、ふつうは。けど信念というのは変えさせることの難しいものだ。だからその先を考える。信義信条を持つ議員がいるとして、どうすれば防衛費削減がその信条を後押しすることになると説明できるだろう?

聴衆: 理由を述べないと。

そう、それを考えないとね。廊下に立ってるナンシー・ペロシ[訳注: アメリカ民主党のベテラン議員]に駆け寄って、防衛費削減はあなたの信念を成就しますと説明してうまくいくと思うかい?

聴衆: ダメだろうね。

どうして?

聴衆: まともに聞いてなんてもらえないよ。愛想笑いが関の山だね。

そうだね。ナンシー・ペロシは君なんて相手にしない。会ったこともないんだもん。君は信用に値する人物とは言いがたい。だから君は、議員が信用していて君の代わりに議員を説得してくれるような誰かを探す必要がある。

オーライ、この筋立てでもうちょっと掘り下げてみるかい。議員が信用している人を見つけて、その人(たち)を説得する方法を探す。説得して、説得してもらう、こんどはその人に議員をね。それで、議員を説得できたとして、その議員が票を投ずるような何かを用意しなきゃいけない。なにか具体的な法案で票を投じてもらわなきゃダメだ。たとえ議員たちが君の考えに完全に賛成してくれててもね。さてこれは一朝一夕にはいかないということがわかってきたろう。

簡単なことじゃない。具体的な行動にとりかかれるようになるまでに時間がかかるかもしれない。けど成果を出したいと思えばこれがどれほど効果的かはわかってもらえたんじゃないだろうか。いまはブログに書いて満足してるだけかもしれない。でもそれじゃダメなんだ。そりゃ、やることなすことすべてを最大限に効率化しなきゃいけないわけじゃないよ。けどワシントンには毎年何百万ドルを使い込んでる組織がごまんとあって、ほとんどがこうしたことについて考えたこともないでいる。ぜんぶが無駄遣いに消えてるとは言わないよ、きっと成果の上がってることもあるだろう、だけど任に当たっている人たちが、目的はどのように達成されうるかということについて具体的に考えるようになれば、もっとよくなる。

もうひとつ、この戦法がもっとパーソナルなことにでも使えるという例を挙げて話を終えよう。パーティーに行ったとき、ある人に向って、僕は本を書いてて、それでベストセラーにしたいって言ったんだ。みんなは笑ったけど、それはみんなの頭が行動の原理に染まってたからだと思う。がんばって本を書いたんだから、当然ベストセラーになったらいいなと思うよな、出来がどうであろうとね、というわけだ。

だけど僕は正反対のやり方でやっていた。僕には変化の原理があったからね。あるものがベストセラーになるのはどうしてだ? うん、みんながそれを買うからだ。オーケー、どうやってみんなにあるものを買ってもらうようにする? えと、みんなにそれが欲しいと思わせる。オーケー、どうやってそう思わせる? えと、まずみんなの望みや需要に適合すること、それからそんな需要を満たしているというのを知ってもらうこと。それじゃあみんながもってる望みや需要ってのはどんなものだ?(ほかのベストセラーを見渡すと……エンターテインメント、現実逃避、自己啓発 etc.) 求めてたものだとみんなに知ってもらう方法は?(早いうちに話題をさらう、メディアに取り上げられる、読んだ人に口コミで拡がること etc.)

さっきと同じように、こうやって自分が実際に取れる行動までずっとさかのぼっていける。それにしても、これのおかげで僕は自分の本がベストセラーになるのをたんに憧れるだけで済ませなくてもよくなった。ほかの著者とは違って、そのためにどうすればいいのかわかっているからね。

これが変化の原理の力なんだ。

2010年3月14日


履歴

2013-01-23
typo 修正。
2013-01-19
公開。

ノート

Aaron 君の本がその後どの程度売れたのかはわからない。僕(柴田)が当時これを翻訳しようと思いかけてやっぱりやめた理由というのは、このポストは(人びとが取る政治的行動の動機や手段について)ひじょうに適切な指摘をしていると思えた一方で、同じくらい現実を捉えきれていないところがあると感じたからです。

近年、日本でも著作権法やエネルギー政策などをめぐりいくつか政治運動的なものがウェブ上で見られたけれども、それらがどこまで実効性ということを考えていたかという点に思いをめぐらせると、いつもこのポストのことが頭に浮かぶ。

その一方で、まずこうした運動の成果は成功するときでさえ必ずしも理論的正しさによって達成されるわけではないということ、それからたくさんの成果が、はじめはそれが引きおこす結果がどのようになるかもわからないままに始められ、たくさんの偶然によって大きな影響力を持つにいたっていること、そしてしばしばこうした運動は当初のもくろみとはまったく違った分野において大きな成果をあげるということもたしかです。人びとが「説得」されるのも、現実には、主張の命題的正しさではなく、究極的には、正しいことがなされていないという道義心に訴えかけられたことによってなされることが多い。良かれ悪しかれ、政治というのは人の心で動いているということを、Aaron より長く生きてきた人の多くは(時には苦い)経験によって学ぶ。

運動というのは、一本しかない旗を奪還するために招集された戦略チームのようなものではかならずしもないし、ゴールが足下を見続けてでもいないととうてい達成しきれないほど遠大であることもあります(そのことを、かれは以前に「生産的になろう」で書いていた)。それに、「変化の原理」をこのように突き詰めて適用すると、うまくいかなかったときに逃げ道がなくなってしまう。

テーマが政治よりだったこともあって、当時けっきょく僕は翻訳を見送りました。しかし現在のわれわれが陥りがちな思考の罠に気づかせるという点では、意義ある記事と思います。

ただこういう形で公開することになってしまって危惧することは、かれの死が、かれのほかの記事ともあわせて、かれの考えや人格によって必然的に導かれたのだともっともらしく思われてしまうことで、幸い、僕が見たかぎりそういう論調はほとんどないようだけれども、そう考える人がもしいたとしたらそれは間違っているということはあらかじめ強く言っておきたい。かれの死は、かれが助けを求めたとき、運悪く誰もそばにいてあげることができなかったばかりに防ぐことのかなわなかった不幸であって、かれをさいなんでいたのは(僕らに知れるだけにかぎられるけれども)鬱病やかれに近づきつつあった喫緊の身体的危機です。おそらくわれわれは、かれを苦しめ、また今もほかの誰かを苦しめているそうした脅威をこの世から取り除くべく世界を変える努力をしなければならないし、そのとき僕らにヒントを与えてくれるものこそ、かれが書き残しまた実践してきたこれらのアイデアにほかなりません。

To the world: we have all lost someone today who had more work to do, and who made the world a better place when he did it.

Goodbye, Aaron.

RIP, Aaron Swartz - Boing Boing

全世界へ。この日、われわれはなお多くをなすべき人を失った。なされたことは、この世をよりよい場所へと変えた人である。

さようなら、アーロン。


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